現在のお仕事に就かれた経緯を教えてください。
難民支援協会 (JAR, Japan Association for Refugees) という認定NPO法人で働いています。日本に逃れてきた難民を支援している団体で、私の担当は政策提言。日本の難民に関する法や制度の改善を提言していくお仕事です。
大学在学中にJARのことを知り、4年生の後半からインターンを始めました。1学期の休学を挟んだのちに、今年の6月に卒業。卒業後すぐに、スタッフとして働き始めています。
JARへの入職を決めたのは、自分が生まれ育ったこの国に難民として逃れて来たのにも関わらず、人としての当たり前の権利も認められずに苦しんでいる人に寄り添いたいと考えたからです。
難民問題は、その国の人権水準の鏡です。庇護を求めるものにその権利を認めず、代わりに管理と排除によって囲い込む。海外の院に行く道も考えましたが、まずは自分の足元の問題から解決し、世界を変える力を身に付けたい。そんな気持ちで、この仕事を選びました。
全米団でどのような活動をされましたか?
運営代の時は選考プロセスを担当しました。「人を選ぶこと」に積極的になれず、かなり同期には迷惑をかけながらの運営だったと思います。積極的になれなかった分、自分で自分を納得させることができるまで、とことん考え抜く姿勢が身につきました。
NMUNでの参加議場はUNHCRで、議題はシリア難民危機。私が難民問題に関心を持ったのも、難民支援に関わる仕事を選んだのも、全ての始まりは全米団でした。
自分のバックグラウンドや元々の理想に難民問題が合致していたのもそうですが、DDPを通じて議題にじっくり向き合えたことが、難民問題をより深く学びたいと思った何よりのきっかけだったように思います。また、私が受けたDDPは政策立案に力を入れるものでしたが、その時に学んだことは、実世界で政策提言をする上での基礎になっているように感じます。
その他にも、議論の進め方や会議の準備、報連相といった仕事をする上での基礎を学ぶことができました。そして何よりも、素敵な同期と先輩と後輩に恵まれて、大学生活を最大限に充実させることができたこと。これが全米団に参加したことの何よりの価値だったように思います。
今後のビジョンを教えてください。
この国において、難民と認められるべき人が、難民と認められること。まずはこれを達成させたいですね。そのためには、現行の入管法と切り離した難民保護法が必要だし、難民認定業務を専門的に行う機関が必要だし、難民申請者が収容 (時には送還も…) される現状も変えなければならないし、やるべきことは山積みです。自分ができることを少しずつ増やしながら、この国の政治や制度を変えることができればと思います。
また、認定されるべき人が認定される社会が実現できた暁には、「人の移動の自由」を最大化することができないかとも画策しています。物理的な移動というよりは、精神的な意味で。誰もが心の中の国境線を乗り越えて、全ての命が等しく扱われる世の中になればと思います。
最後に一言
全米団は、大学最初の2年と少しをかけるのに十分すぎるくらい十分な価値のある活動だと思います。他人に向き合い自分に向き合い、そして大きく成長する。このチャンスを存分に生かして、彩り豊かな学生生活をお送りください。